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【アラベスク】  第16章 カカオ革命



第2節 手作りの魔力 [12]




 せ、成長したのだ。それだけ大人になったというだけだ。
 言い訳がましくは聞こえるが、今はそもそもそれどころではない。とにかく、なんとか上手く、聡を説得しなければ。
 だがどうやって?
 方法なんて思いつかない。
 なにやってんのよ。別に聡に誤解されたっていいじゃない。どうせ聡の気持ちなんて受け入れられないんだからさ。卑怯者だと誤解されて嫌われたら、それはそれで好都合なんじゃない?
 耳元で小悪魔が囁く。
 嫌われてもいい。
 シャーペンを握り締める。
 私は嫌われてもいい。
 少し前の美鶴なら、平気でそう思っただろう。だが、今は少し違う。
 私は嫌われてもいいかもしれないが、でも聡は? 好きな相手から別の異性を(あて)がわれたら、自分だったらどう思うだろう?
「俺なんかよりもこっちの男の方がお似合いだぜ」
 そう言いながら辛辣な笑みを湛える霞流が、別の男性を紹介してきたら?
 ショックだ。
 唇を噛み締める。
 きっと悔しくて、悲しくて、とても耐えられないかもしれない。
 だったらやっぱり聡も。
 目の前の小さな瞳を盗み見る。
 聡も傷つくのだろうか?
 唇を噛み締める美鶴に、聡がぶっきらぼうに声を掛ける。
「何だ?」
「え?」
「さっきからチラチラこっち見やがって」
 長い足を組みかえる。
「言いたい事があるならハッキリ言えよ。お前らしくもない」
「あ、いや、別に」
 慌てて誤魔化し、視線を落す。
 そんな挙動に、聡は内心で舌を打った。
 やっぱりおかしい。
 無言で見つめる。
 やっぱり、何かある。
 イライラと爪を噛むその耳に蘇るのは、昼間の会話。きっかけはくだらない話題だった。



「よろしいじゃありませんか」
 しつこく言い寄ってくる女子生徒に、聡は鋭い視線を投げて返す。
「うるせぇな」
「だって、金本くんが悪いのですわ。せっかくお誘いしているのに」
「別にこっちは誘ってくれとは頼んでないぜ」
「まぁ冷たい」
 女子生徒は大袈裟に両手を広げ、首を横に振る。
「だってせっかくのバレンタインですのよ。ひょっとして、まさかあのみすぼらしい建物で明日もお過ごしになるつもり?」
「だったら悪いか?」
「不憫ですわ」
「何が?」
 怒りを押し殺して振り返る聡に、女子生徒は憐れみを込めて首を傾げる。
「だって、金本くんともあろう御方が、せっかくのバレンタインをあんな寂れた駅舎で過ごさなければならないなんて。しかも相手はあの大迫美鶴」
「悪いか? お前には関係ない」
「バレンタインですのよっ」
「だからなんだ」
「私がお誘いしているイベントは、バレンタイン限定ですわ。明日一日限りですのよ」
 女子生徒は身を乗り出して力説する。
「世界中の珍しいチョコレートやカカオを材料にしたお菓子を集めたお食事会。しかも招待状がなければ入れませんのよ」
「っんな甘ったるいイベント、誰が行くかよ」
「チョコレートを材料にしているからと言って甘いとは限りませんわ。それは偏見です」
「偏見だろうが何だろうが、俺は興味もない」
「見ても参加してもいないのに拒否するなんて、あんまりですわ」
「何とでも言え」
 さっぱり相手にしてくれない聡の態度にやや頬を紅潮させる女子生徒。そんな彼女の肩を、別の生徒がポンッと叩く。
「いい加減に諦めたら?」
「いいえ、諦めませんわ。絶対に金本くんをお誘いしてみせます。私と一日、いいえ、半日を過ごしてくださればわかるはずです。あんな大迫美鶴なんかよりもずっと楽しくて有意義な時間が過ごせるという事がね」
「それ以上美鶴の悪口言うと、張り倒すぞ」
「まぁっ!」
 素っ頓狂な声をあげる生徒。傍らの生徒はため息をつく。
「いい加減にしなよ。それにさ、金本くんの明日の相手が大迫美鶴だとは限らないじゃん」
「え?」
「ひょっとして、あちらの御方だったりして」
 ニヤリと笑い、教室の隅を視線で指す。示された先では、次の授業の予習をするショートカットの女子生徒。
「天使様って可能性も、無きにしもあらず」
「お前、冗談で言ってるんだろうな?」
 刺さりそうなほどの鋭い視線と脅しとも取れそうな低い声。思わず肩を竦める。
「私は可能性を言ったまでです」
「俺と涼木は関係ない」
「そうよ、ここ最近は、休み時間に会話をする事もなくなったし」
「あら、それは作戦かもよ」
「作戦?」
「そう、私達の目を欺く為の作戦。ひょっとしたら、私達の知らないところで逢瀬を重ねていたりして」
「それ以上言ってみろ。二度と口利けないようにしてやるぜ」
「あら怖い」
 女子生徒は一歩下がり、それでも不敵な笑みを浮かべて顎を引く。パープルの太縁眼鏡に右手を添える。少し釣り上がったような形が、教育ママという古臭い言葉を連想させる。本人にとっては、レトロなイメージなのだろう。流行(はやり)とは巡り巡るものだ。古いものはやがて新しい風となる。
「俺は涼木には興味も無ぇし、そもそも涼木には蔦がいる。そんな不謹慎な真似、誰がするかよ」
「あら、では大迫美鶴のようなフシダラな女性を相手にするのは、不謹慎な事ではないと?」
「美鶴はフシダラな女なんかじゃねぇよ」
 本当に一発繰り出しそうな凄みで睨みつけてくる相手に、生徒は意味ありげに瞳を細めた。
「夜な夜な繁華街を徘徊しているような生徒であっても?」
「は?」
 目を丸くする聡。傍らで聞いていた女子生徒が身を乗り出す。
「まぁ、何ですの、それ?」
「噂だけどね」
「噂って何だよ?」
 自分の出した話題に興味を示した聡の態度が嬉しいのか、生徒はやや得意げに顎をあげた。
「ただの噂ですわ。あのような貧しい生徒が繁華街で夜遊びなどできるはずもありませんし、大方、水商売をしている母親の元を訪ねている姿を目撃されただけかもしれませんけどね」
 そこで上目遣いに聡を見上げる。
「もっとも、その母親と一緒に商売に身を捧げているのかもしれませんけれど」
「なっ」
 絶句する聡の態度に、太縁眼鏡はカラカラと笑った。
「でも調べてみましたけれど、そんな様子はありませんでしたわ。大迫美鶴の母親が務めるという店に使用人を向わせてみましたけれど、未成年が働いている様子はなかったそうですから」
「し、調べたって」
 上擦りそうな声をなんとか絞りだす。
「お前、そんな事やってるのか?」
「えぇ、やっていますわ」
 悪びれもせずに胸を張る。







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